じゃあね
星が、綺麗だな、と思った。
彼のマンションから見る夜空はとても綺麗だった。それは好きな人と見ているからなのか、今日の天気が良かったからなのか、それとも冬になる手前の季節だからなのか、私には分からなかった。
彼には、一度「付き合おう」と言われていた。その時はまだ彼のことをよく知らなかったし私には他にも気になる人がいたしですぐには返事ができなかった。だから「もう一回デートしてから考えよ」と言った。今でもこの決断が正しかったかどうかは分からないけれど、多分、正しかったんだと思う。
その日は告白されてから初めて会う日で、彼の家に忘れていったゲームを取りに帰るだけだった。でも疲れ切ってた私はベッドで寝ていい?と聞いていた。そうなるとやっぱりしばらくするといちゃいちゃし始める。23年も女として生きてたらこんなこと分かりきってて、だからギリギリのところで止める。こんなことしてたら幸せになんかなれないなって思いながらも、今楽しいからまあいいかという葛藤が私の心の中で暴れる。
疲れてまた私が寝始めると彼は一人スマブラをする。しばらくすると私のところに戻ってきて「寂しかった?」と抱きしめる。うん、と頷くと「素直なの珍しいね」と頭を撫でる。この瞬間が堪らなく好き。彼氏じゃない人と恋人ごっこしてる稀有な時間と切ない気持ちが相俟って私は満たされる。
彼がアップルパイを買ってきたと言うので冷蔵庫から取り出す。レンジで温めてる間、思いっきりジャンプして彼に抱きついてみた。そしたら軽々と身体を持ち上げられてキッチンに座らせられた。あ、これ、韓ドラで見たやつじゃんってニヤける。ドラマで感じたキュンキュンを現実世界でできる喜びは胸の中では収まりきらない。彼の顔が近づく。そっと避ける。
「キスかわすの上手だね」
「そんなことないよ」
こういう時の言葉はいらない。ただ見つめあっているだけで心も通じ合うような感覚を覚える。
チンと電子レンジが鳴った。そのままベッドで彼の腕にくるまりながらアップルパイを交互に食べる。
「最後の一口、食べていい?」
「いいよ」
「やっぱおれにも一口ちょうだい」
もう既に口に含んでいるアップルパイを彼が食べる。
「合法的にキスできた」
彼がイタズラっぽく笑う。ずるいね、可愛いよ。
それからまた布団に潜り込む。ギリギリのラインをお互いが攻めて、攻められて。この楽しさは付き合ってないからこそのドキドキと罪悪感が入り混じっていて、心地よくないはずなのに何故か心地よさを感じてしまう呪いの時間だ。
また疲れて寝てしまうと、彼が忙しなく仕事をし始めた。邪魔しちゃいけないかなと思って携帯を開く。男友達から恋愛相談のラインが来てた。楽しそうに返しながら彼の方を見ると携帯をいじっていた。
「仕事終わった?」
「うん」
「気遣って待ってたのに」
「寂しかった?」
「うーん、寂しかった」
また抱きしめる。罪悪感でいっぱいになる胸を他所に満たされていく心。欲ってなんて無慈悲なんだろう。
思っていたよりも男友達の恋愛相談が深刻だったので彼と一緒に考えることになった。
「おれも男子校だったから分かるな」
「どんな風に勉強したの?」
「ひたすら脳内シミュレーション。あと女の子によってやっぱり喜ぶポイントって違うしそこは経験かな」
「ふーん」
「あとイベントとかあったら一ヶ月ぐらい前からリサーチするよね。プレゼント選ぶ時も検索のコツあって、貰って嬉しくないものとかあえて検索する」
「そうなんだ」
なんとなくだけど、彼は私にここまでやってくれない気がした。そもそも、私一ヶ月後誕生日だし。
明日も仕事があるから帰ると言った。
「帰らないで。泊まってくでしょ?」
「いや、帰るよ」
「ほんと?」
「うん。なんで?」
「だっておれ、一人じゃ寝られないし」
それなら私じゃなくて良いじゃん。遊ばれるのはこっちからごめんだ。
帰り道、当たり前のように恋人繋ぎをして帰る。当たり前のように私の荷物を持ってくれる。当たり前のように家まで送ってくれる。楽しい会話も、たった十分の帰り道も、これで最後にしよう。この人は、私に本気にならない。
冷たい夜風が私の頬をきる。手だけはやけにあったかくて、でも私の心は冷えきっていて、意志が弱い自分に飽き飽きして、やっぱり今年の冬も一人で迎えようと固く決意した。
「送ってくれてありがと」
「うん、またね」
「じゃあね」
元彼はじゃあねって言葉が嫌いだったけれど、彼はなんとも感じないみたいだ。
今日、彼のことをブロックした。私はこの短い恋に終止符を打った。安い自分も、迂闊な行動も、弱い意志も、貴方との思い出も、全部。
じゃあね。